こんにちは、おつな(@by0027)です。
2019年・お盆やすみですね〜。みなさんは、どんなおやすみを過ごされていますか?私はいま、実家に戻ってきています。
今回の帰省にはちょっとした目的・ミッションがあるので、そのことについて聞いてほしいと思い記事にしました。
この記事は、こんな方におすすめです
- 片付けに悩んでいるひと
- 片付けたいのに、なぜか片付かないひと
- よりシンプルに、心地よく暮らしたいひと
私の実家は、片付けられない家でした。
とつぜんですがカミングアウトします。
私の実家は、片付けられない家です。
「片付けられない家」と聞くと、あなたはどんなものをイメージしますか?
私は、次のことが1つでもあてはまることだと思っています。
- ごみが散乱していること
- 不要なモノが溢れていること
- 片付ける習慣がないこと
これらが1つでも行きすぎた状態になっていると、「片付けられない家」になるんじゃないかなぁ、そんな風に感じています。
そして、わたしの実家は、なんとこれら3つを全て兼ねそろえています。娘ながらに、この状況はとてもひどく、深刻な問題だとつねづね感じていました。
そんな背景から、今回の帰省の際に、わたしはわたしにミッションを与えました。
それは、「実家を片付けること」。
実家をきれいにするための帰省だ、そう決意し愛知県へもどりました。
原因は、「不要なモノの所有」
片付けられない家になってしまう原因というのは「ごみの散乱」「不要なモノの所有」「片付ける習慣がない」の3つだと思っています。そして、この中でもとくにボトルネックなのは「不要なモノの所有」だと感じています。
では、「片付いていて、きれいな家」にするためには、どのように考えればいいのでしょうか。キーワードは、次の**です。
「きれいな家にする」ためには、不要なモノの処分 → ごみの廃棄 → 片付けの習慣をつける、という順序で家をととのえていく必要があります。
しかしながら、両親がこのようにモノを所有・ため込んでしまっている理由も、よくわかります。
それは、両親たちの時代は「モノを欲していた時代」だったから。物を持つことに裕福さや、しあわせを感じる。そんな背景をもっているからです。
また、必要なものは「その時々」によっても、変わってきます。そのことに気がつかず、当時必要だったモノを持ち続けてしまっている可能性もあります。
だけど、いまは2019年。元号も令和に変わりました。いまの時代を生きるひとの、モノに対する価値観は変わってきていると感じています。
令和時代の「モノ」に対する価値観
ここ数年のあいだに、シェアリングエコノミーという言葉がでてきました。
シェアリングエコノミーというのは、インターネットを通すことで、モノや乗り物、あるいは場所(スペース)などといったモノコトを「所有」から「共有・交換」に変えることができます。
いまの時代は、シェアリングエコノミー経済が発達しているので、これまでの「モノを所有することが裕福・しあわせだ」といった、「しあわせの価値観」から、「所有しなくても裕福・しあわせだ」という価値観に変わってきているのです。
でもそれは、わかってるし、わかってた。
と、そんなことを思い、実家にかえったのですが、、、実家に帰ってびっくり。なんと、お父さんが自分からすすんでモノを捨てていたんです!
と、断捨離に目覚めてしまったようです。あれ🙃?
なので私のミッションは「家を片付ける」から「お父さんといっしょに、家を片付ける」にシフトチェンジしました。
時間はかかるだろうけど、がんばって片付けていくんだ〜。
おしまい。