ひさしぶりに今の心境を残そうと思う。
新しいことをやっている会社に入りました
2/17(月)新しい会社で働きはじめました。デジタルマーケティング会社。
デジタルマーケティングって常に新しいことに挑戦していて、面白そうで、イキイキと輝いている印象だった。企業サイトを見ても整ったレイアウトに、きれいな配色。
どんな想いで、どんなビジョンで、どんな人が働いているか中身が見えるよう作られていて、
そんな風に思っていた。
だけど、だ。
中に入ってみて感じたこと。
ここで働いている人たちの多くは、「あまり楽しそうじゃない」。
仕事が「ただの作業」となっている人たち
目の前に降り注いでくる仕事を淡々と、生気のない目でこなしている。「仕事内容」そのものの本質を考える(理解する)時間をとるよりも、手を動かす。目の前の仕事を黙殺と行っていて、仕事をただの流れてくるものとし、くり返し処理している、そんな風にみえる。
みんなすごく静かなんだ。
自分のこれまでの経験で仕事をしているから、これまでやってきた経験則でルーティン化できてるからこそ、黙々と目の前のことに取り組んでいる。仕事がただの作業と化している。
そしてたまに発生する「わからないこと」。
それに対する免疫力が低いので、誰かに相談して、その人もわかる範囲でないことを考えようとすると、とても歯切れの悪い、堂々巡りの会話を続けている。
そんな風にみえる。
同じ空間にいても、心を開けていない
同じチームの人を観察していて思うこと。
みんな、心を開いていない。
メンバーとメンバー。メンバーとマネジメント職。部署ととなりの部署。同じ空間にいて、関連のある仕事をして、仕事上必要な会話と、ささいな雑談。
一見問題のないようにみえるけど、なんていうか、平坦。
だれかの視線やまわりの空気を読んで、当たり障りなく過ごしている。自分の内にある感情や気持ちを守るように、ほかの人にわからないように、透明なバリアを張って相手と接する。
喜怒哀楽がない。個性がない。そんな人たちが多いように感じる。
集団(組織)の一員であることの弊害
こういうの、「集団的心理」っていうんですよね。
ひとは組織といった集団に入ると思考停止に陥り、考えなくなる。そして組織に守られているとその集団の外で信頼をつくったり、心を開くことがむずかしくなる。
:こころと社会の進化ゲーム著者:山岸俊男
そんな人たちを、私は傍観者のようにみている。
なにか言う訳でもなく、「ふしぎで、気味の悪い空間だな。」と思いながら、目の前にあることを淡々とこなす作業マシーンと化してパソコンに向かっている。
私も、ここにいる人たちと同じで、内にこもっているんだ。
でもいいんだ。私はひとりがすきだし、ひとりで考えごとをする。「これが私なんだ」と自覚できているからいいんだ。私はちゃんと、私として生きている。
公平な目でこの会社にいる人を見れているだろうか
こんな風に言っているけど、これは私の「偏った目」で見ていないだろうか?
私は公平な目でこの会社を見れているのだろうか。まだ一部分しか見れていなくて、それを全体として捉えていないだろうか。
入社後たった4日で、一体なにを知れた気になっているんだろうか。
このこたえは一定の時間を過ごさないと見えてこない。だから今はただ、目にしたことに「?」を抱えながら、ただの作業をいかにクリエイティブでたのしい仕事になるかと考えながら、取り組んでいる。
いま、私がみている人に送りたい音楽
次の駅で降りよう そこがどこだって関係ない
だって このまま乗っていたら
ただ一日がはじまるだけだ 絶対
嫌だ嫌だ 流されるのは
嫌だ嫌だ そんな人生
決められたレールの上はつまらない– 乃木坂46 「日常」
おしまい。