ここ最近、最近というかここずっと、調子が悪い。
やることなすこと大体うまくいかない。その時は「これがいい」と選んだものでも時間が経過することで見えてくる「これじゃない感」。
「これじゃない感」が長期に渡り続き、しかもそれが私の生活の多くを占めるので日々が苦痛に感じる。
「これじゃない感」の発端
どの辺りから流れが変わったかはわかっている。
その頃までは自分で自分の好みを把握し、正しい選択を、軌道修正をしながらようやく自分らしさの起点となる場所へたどり着けた状態だった。
だけど去年の夏から、空回りをしている。
はじめはよくわからない外的要因から。よくわからない何かが私の感情を乱しにきた。私はそれに反応し人に話したことで、まわりからは「様子がおかしい」と散々言われ、異常者を見るような目で見られ、人から拒絶され、どこにも行く場がなくなった。
誰に話してもわかってもらえないし、人に話すことでさらに人がどんどん離れていく。誰にも言えず孤独を感じ、会社に行くことも、ひとりでいることも出来ない。そしてその”よくわからない外的要因“は日に日に勢力を増していく。
結局仕事を辞め、家を引き払い、地元に帰った。
これが1番のターニングポイント。
仕事を辞めたくなかった。長いこと望んでいた、念願のポジションにようやく就けたところだったから。最高に尊敬できる先輩がいて、働きやすい環境、やさしいチームメンバーの人たち、きさくな年下の先輩。全部だいすきだった。
当時住んでいた初台の家も、10年も住むほど気に入っていた。ここを出るときは結婚するときだ、って思っていたほど絶対に離れたくない家だった。それ以外の理由で退去するなんて考えられなかった。
それなのに、手放してしまった。
全部手放して実家に帰るしか選択肢がなかった。ほんとうにそれしか出来なかった。
軌道修正させられた私の人生
いまでも当時を振り返ることが多くて、悲しくて、ほんとにできるものなら2019年の7月に戻してほしい。心からそう願っている。
私は自分の意志ではない、なにか大きなものに人生の方向転換をさせられた。
私の意志が曲がるように、目に見えるものと見えないもの、周囲の人たちの目・思惑を操作させられた。私は得体の知れない何かに私の人生を関与された。
それでも、その状況から逃げるという選択を選んだのは私自身だけど。
よくわからないものはきっかけでしかなくて、逃げるという選択をしたのは私なんだ。
会社を辞めたくなかったし、家も引っ越したくなかったのに。
それしか言葉が出ない。その事実を認められるほどの寛容な人間にはまだなれていない。きっとこれは何年たっても何十年たっても、私はこのことを後悔するんだろうな。
この世を包含する、見えない世界
最近は、「魂の法則」というPDFを数日かけて読んでいた。
いままでぼんやりとわかっていたものの理解が進んだ。よくあるスピリチュアルブログの断片的でぼんやりした内容ではなく、目に見えない魂の話しを一貫して具体的に、それもかなり緻密に解説してくれた。
やはり、この世は見えない世界に包含されている。
そしてこの世で起こる出来事は自分自身が原因をつくったか、自分自身が生まれる前に望んで設定したもの。
なのでこの話が真実だとするなら、このよくわからない私の人生に軌道修正も自分で望んだものということを認めなければいけない。
でも、なんで?どうして?それはなぜなの?これを望んだ理由や意図がわからない。
どうして私は私史上最高に輝いていたタイミングであんなよくわからないことを体験したのだろう。その答えがわからなくて、もやもやしたものをもう8ヶ月以上も抱えている。
このもやもやが晴れないから、今日もまた見えない世界を知るため、怪しいサイトを読み漁っている。
そしていま目の前にある現実のほとんどは、色褪せて見えてしまう。
これまでとは違う無気力感を感じている。自己効力というのは本当に存在するのだろうか。
もうこの際、現実なんてどうでもいい。私は事実と真実を知りたいんだ。