ここ最近は、色んなことがあった。箇条書きにまずは書き出してみる。
- 友だちとの口論
- まさるさんとのセッション
- 自分の可能性
- 誰かの可能性
- 可能性に対する自己過信
- 自己過信によるエゴの押し付け(複数名)
言語化したくないけど、向き合わなければいけない。
私が嫌いな価値観
ここ最近の私は、私が嫌いな人間に、私自身がなっていた。
嫌いな人間
- ⑰ 圧が強い人
- ⑲ 思い込みが激しくて勝手に話しを進める人
- ⑳ 考えることをしないでただ流されている人
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人に、私の価値観や想いを押し付けてしまっていた。
どうして早く気づけなかったんだろう。
外に出すのは、1%でいい。全部自分の中に留めておけ。発言するのは自分の中で考え抜いたことだけにしろ。そこに「共感」が加わったとしても、フィールドが変わればそれに当てはまらない人もいることは確かだ。
『良いことしてる』
『良いこと言っている』
だなんて、それは自分自身の価値観・価値基準でしかない。私の「良い」は相手にとっての「良い」とは限らない。
そんなこと、わかっているはずなのに。どうしてすぐに忘れてしまうんだろう。
もしかしたらそれは社会的には「良し」とされているかもしれない。だけど、本当のところは、どうなんだろうか。
それは相手をよく知らないと判断できない。人と人だから、その間にある距離を見て、最適解を見つけ出さなければいけない。
価値観の押し付けはエゴでしかない
悪も、正義も、それはただの「価値観」でしかない。私の正義は、誰かにとっての「押し付け正義」になっていたのだ。
そんなのはただの、エゴだ。
ただ、現代社会は悪、というか、ネガティブで固い思考に偏りがちだから、だからこそポジティブに、まるく明るく捉えた方がいいんじゃないかな、そんな想いで発言や行動をしていた。
だけど、相手の状況や心情、距離感をきちんと配慮出来ていなかった。
本人に変わりたい願望や今の状況を打破したいという思いがない場合もある。その心情を把握できておらず、余計な発言・行動したことを反省しないといけない。
私は、自分と向き合いすぎて魔境に落ちてしまったみたいだ。
魔境にいるときは、自分が魔境にいるだなんて気が付かない。しばらく経ったあと、周りの様子を見て、ようやく気付く。裸の王様じゃなくて、裸の愚民ということに。奇行に走っているから、周りが避けているという事実に。
私の原理原則
これからはこれが私の原理原則になる。
忘れないように常に見えるところに置いておこう。
- 調子に乗るな
- おごり高ぶるな
- 常に冷静であれ
- 他人も自分も客観視しろ
- 反応するな
- 熱くなるな、耐えろ
- 人生は全て修行だ
- 語るな、姿で見せろ
- 戦う相手は他人じゃない、自分だ
- 流れに流されるな
- 止まれ
- 一撃で判決が下されることもある
- 常にゼロ地点に戻れ
- お前は何者でもない
石の上にも3年(忍耐) pic.twitter.com/ZIbANFLkQo
— おつな 🏡 (@by0027) May 14, 2020
私は自分自身の未熟さに強い怒りと悲しみを感じている。
一度失った信頼は、取り戻すのに時間がかかるか、取り戻せないことがほとんど。チャンスはあるようで、ないのかもしれない。
常に冷静であれ、熱くなるな。
スペシャルサンクス:宇宙人さん👽(@angle_alien)
だから、「価値観を持たない(発信しない)」というペルソナも、必要だと思うんだ。それを スルースキルと表現してもいいかもね。
【これからどう生きる?】固定概念とペルソナ設定のお話し