こんにちは、おつな( @by0027 )です。
先日、気に入っていたグラスを落として割ってしまいました。
気に入っていたグラスを落として割った
これはただの不注意です。
うっかり油断をして、キッチンの作業台から落下してしまったという感じです。
落とした直後の私は、
と、目の前にある割れたグラスを処理しよう。
そんなことを考えていました。
ほんとにただ淡々と、次にやること(グラスを片付ける)を考えていたのです。
気に入っていたグラスが割れた。ただそれだけだった。
割ってしまったグラスを、私は気に入っていたんです。
確か2・3年前に渋谷神南にあるDULTONで800円くらいで購入したこのグラス。
決して高いものではないけれど、底の厚みやちょうどいい重さが気に入っていて、冷たいものを飲むときや、朝食にヨーグルトを食べるときによく使っていた。
こんな感じで使ってた
ほんとに大事なものの1つです
ご存じの方もいるかもしれませんが、この1年、私は結構様子がおかしくて、かなり不安定で、引っ越しを3回した。
この1年(2019年7月‐2020年8月)の住所遍歴
- 東京(住所①)
- 愛知(住所②)
- 東京(住所③)
- 東京(住所④)←いまここ
こんなに引っ越しを繰り返していると、次第に「モノ、あんまり持ちたくないな。」「本当に必要なモノだけ持つようにしよ。」と、どんどんミニマム思考になるのです。
それでもこのグラスは、引っ越し先に必ず持っていく《ほんとに大事なものリスト》に入るくらい、私にとって身近なものだった。
それくらい気に入っていたグラスのはずなのに。
なにかがおかしいと思う
この割れた姿をみても「片付けなくちゃ。」それくらいの程度になっているのは、なにかがおかしいと思う。
気に入っていて、身近で、日々の暮らしの相棒のような存在なのに、これくらいにまで温度感が落ちているのは、なにかが麻痺しているのかもしれません。
カタチあるものはいつか壊れるかもしれないけど、私は感情がなくなっているような気がしています。